2026年4月29日水曜日

途中で

雑に思いだけを綴るということをしなくなってしまったな ここは日記で何を書いてもいいなずなのに、変だ


元気です

進んでいます 進まなかったり進んだりして それは新しかったり、新しくなかったりする
新しくなくても何かを始めてもいいし、途中で終わってもいい 

途中で終わっているという概念が好きだ 途中であるのにもかかわらず、終わっている 物語には終わりがあるはずなのに 終わりの来ない物語
正確には止まってるのかもしれないけど、続きが来ないのなら、今その瞬間は終わってるような気もする 
それに、終わった後にまた始まってもいい

物語というのがやはりいまだに良く分かっていない 死を迎える瞬間が物語の終わりなのかというと、別にそんなことはない むしろ死を迎えるまでもなく唐突に物語は終わるし、死を超えて尚物語が続いていくこともある 
物語が終わったあとも世界が続いていくのだとすれば、そこで暮らしている人たちは新たに別の物語が始まるのか、それともどれだけ生きようとも物語の外になってしまうのだろうか

Vtuberとかに正面から全然ハマれないのも、物語化に対する疑いがあるからかもしれない 日々の活動や配信での言動、または活動を始める前までのバックボーンまで、全てが物語として回収され、楽曲のカバーをすればそのコメントでは本来曲に持たされている意味から飛躍して、歌詞に紐づけて今まで築いてきた全ての人生が意味として還元されていく なんか、異様だと思った 
ただ、「在る」という、それだけでは足りないことを無意識に自覚していて、意味を見出さないと実存が揺らいでしまうという前提をみんなが暗に共有している 異様な空間
別に嫌いなわけではなく、異様だなあと思うだけ 全然配信とか見る ストグラ好きだし 疑いを持ちながらもそれを忘れて楽しむことが出来るし、星野ももあが好きだ 人間が矛盾した生き物でよかった

こういうことばっか考えてる それって何の意味があるの?
うるさいな 殺すぞ

何の話だっけ


働いてないし金はないし、人との関わりも希薄になっていく(希薄にしている) 
前ほど絵にも興味がない 漫画や小説みたいに物語を書きたい訳でもない
なぜかゲームを作っている それも、小学生の女の子が対象の、異常なゲーム

最初は別にただ夢を通じてえっちなことをするゲーム、それだけだった
なんか、いつの間にか、物語になってしまった 物語と言えるほどのものかは分からないが、とにかく、なってしまった

キャラクターが物語、意味を持ち始めてしまった お前だろ?と思うかもしれないけど、なんか勝手にそうなったとしか言いようがない 逆らえなかった

人間に備わってる基本的な性質なのかもしれないもう 
そもそもそれが良いのか悪いのかわかんなくて考えてたのに、気づいたら生まれてて、終わらせないといけなくなった 直感で、責任だとおもった

ふつうに、なにも考えずに妹ものとか作ればよかった 
なぜかは分からないけど主人公の家に転がり込んできて、一緒に食卓を囲んだり、雑談したり、物を買い与えたり、たまにお風呂とか覗いたり、そうしている内になんかお互い好きということになって、寝てる間にえっちなことをしても怒らなくて、それだけ 
これでよかった

そうか?
わからない 単に流行りへの逆張りなのかもしれない オタクのこと嫌いだし
考えすぎなだけかもしれない そうではないことを確信しているが、考えすぎということにしておいた方が良いかもしれない

だってなんかこの関係って、モノみたいだ 
大澤真幸の言葉を借りれば、カフェイン抜きのコーヒー、ノンアルコールの酒、他者性抜きの〈他者〉という、超虚構化の産物で、やはりそれはモノ化されている
それが気持ち悪いとも思わないし、別にいいじゃんと言われたら「そうですね」と返すほかないけど、その欲求が行き着く先って、先って

まあでも、全部ほんとはどうでもいい どうでもいいの上に言葉を乗っけてるだけ
ここに本当の気持ちなんて何もない



二夕見結ってマジで何なんだろう


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